「僕」から読みとく日文の学び

「僕」から読みとく日文の学び

INDEX
 
日文_僕って

自分とは何か? 他者とは何か?

「僕」一つとっても 問いにつながります。

言語コース

「ことば」そのものを研究対象にする

APPROACH 1  日本語学

日本語学から見た「君と僕」、「僕と私」
  「君と僕」「僕と私」。「僕」ということばを、対になりそうな相手との位置関係において考えてみましょう。ことばは刻々と変化します。「僕」は「下僕」の「僕」と書くことからもわかる通り、かつては堅苦しく、自分を卑下する改まった言い方でした。一方の「君」。こちらは古文で、かなり身分の高い人を「君」と言っていたことが思い出せるのではないでしょうか。本来は「君」と呼ばれる人と「僕」の間には、身分の開きがあったのです。現代では同じ立場の人同士、気軽に肩を組みあって「君と僕」と呼びかけあっているイメージがありますが、これは江戸時代末期になってからです。このように、いま、私たちが持っていることばのありかたは、昔からずっとそうだったとは限りません。また、私たちが知っているはずのことも、イメージに過ぎないこともあります。「僕」は男性の1人称というイメージがありますが、実際にプライベートな1人称が「僕」の男性はどれほどいるでしょうか。さらに近年の歌の歌詞では女性アーティストが「僕」という1人称で歌っていることも見受けられます。そもそも、最近の歌詞以前に、「ぼくらはみんな生きている」の「ぼくら」は男の子に限りません。どうやら歌の世界では「僕」は「1人称中性」というべき側面がありそうです。
 

APPROACH 2  日本語教育

自称詞とスタイルシフト
高校の教室内での会話を思い出してください。普段、クラスメイトはどの自称詞を使って話していますか?わたし・うち・僕・俺…おそらく様々な自称詞が使われているのではないかと思います。では、例えば、学校で自分のことを「俺」と言っている男子生徒が、アルバイトの面接に行ったと仮定します。面接における会話ではどのような自称詞を使用するでしょうか。おそらく「俺」は使わずに、「わたし」もしくは「僕」を使うと考えられます。さらには、自称詞のみならず副詞や文末表現も「マジで」「~だよな。」から、「本当に」「~です。」に自然と切り替えることでしょう。
このように、聞き手との上下関係や親疎関係等によりことば遣いを変えることをスタイルシフトといいます。日本語教育の初級段階では、フォーマルなスタイル(「わたし」、「~です/ます」)を中心に学習します。そのため、日本語の習熟度が高くなってもスタイルの切り替えが適切にできないことがあります。アニメや漫画を通してインフォーマルなことば遣いにもふれているはずですが、言語によっては日本語ほどスタイルが大きく変わらないため、こういった変化を見落としがちです。日本語を外国語として教える際は、個々の語彙や文法のみならず、談話全体におけるルールも教える必要があります。

図
日本語学ゼミでは、日本語がどのような構造や論理で成り立っているのかを明らかにします。3 年次には「辞書を疑う」という問題意識のもと、辞書記述の論理を使用実態から掘り下げました。言語で言語を説明するため、ことばの選択に鋭敏になります。また、「国語科における文法学習の楽しさを伝えたい」という思いから、教職課程を履修しています。

松本 真佳
日本語日本文学科 3年
栃木県 県立真岡女子高等学校出身
日文_松本さん

文学コース

作品を精読し、人間の本質を洞察する

APPROACH 1  古典文学

漢字の「僕」と『古事記』における受容
「僕」は会意形声で、「人」と「菐」の合字です。「菐」は煩わしいさまを意味し、人の煩辱(はんじょく)なことに従う者を「僕」とします。そこから、しもべ、召使い、従者の意味になり、やがて、やつがれ、ぼく、という自己の卑称として用いられるようになりました。車の御者、また、ともがら、なかま、の意味もあります。漢代の『史記』では自己の卑称としての意味で用いられる例が多くみられ、唐代になると、例えば李白や白居易などの詩に自己を指す語としてもよく用いられています。
漢字を受容して表記した『古事記』では、「僕」は自己を相手より低めて言う卑称として、会話文の中で男女を問わず用いられます。例えば、コノハナノサクヤビメが天孫(てんそん)ニニギノミコトの求婚に答える場面に「僕は、白(まを)すこと得ず。僕が父大山津見(おおやまつみ)、白(まを)さむ」と使われます。男性が「僕」を用いる例には、大国主神(おおくにぬしのかみ)が国譲りをする場面や、オオタタネコが「僕」は大物主神(おおものぬしのかみ)の子孫であると崇神天皇(すじんてんのう)に明かす時など、尊貴な存在に対する際に用いられます。また、父の仇の安康天皇(あんこうてんのう)を殺害した目弱王(めよわのみこ)をかくまい、兄の仇討をする大長谷王(おおはつせのみこ)との戦闘の末、最早これまでと悟ったツブラオミが、「僕は、手悉く傷(てことごとくお)ひつ。矢も、亦(また)、尽きぬ。今は戦ふこと得ず。如何に」と、忠臣が七歳の目弱王(めよわのみこ)に覚悟を促す場面に用いられています。
日文_図2230113『鼇頭古事記』本学図書館蔵

APPROACH 2  近代文学

「僕」「ボク」「ぼく」―子どもたちの自称―
「僕」という自称で思い出されるのは、児童文学としても有名な有島武郎の「一房の葡萄」の「僕」です。彼は自分を「かはいゝ顔はしてゐたかも知れないが体も心も弱い子」と説明するのですが、このまさしく可愛い、ちょっと気弱な男の子の感じを、「僕」という自称はよく表し得ているように思われます。「一房の葡萄」が掲載された「赤い鳥」は大正時代を代表する児童雑誌でしたが、この時代の子ども観は「童心主義」ということばで表され、子どもの純粋さを守り育てることこそが大人の作家たちの務めだと理解されていました。ですから「私」でも「俺」でもない「僕」とは、そのような大人たちが考える純粋な子ども、いわば「良い子」の自称だったとも言えるでしょう。一方で、昭和初期の少女雑誌に掲載された大衆的な読物の中には、女学生たちが「キミ」「ボク」と呼び合う、そんな物語もつむ紡がれており、これは当時の流行を反映したものです。「僕」「ボク」「ぼく」と、表記によって印象も変わるのですが、現代詩人・谷川俊太郎には「ぼく」という表記の自称を使った面白い作品が少なくありません。たとえば詩集『子どもの肖像』に収められた「なくぞ」には、「ぼくがなけば/かみさまだってなきだしちゃう」というフレーズがあります。「ないてうちゅうをぶっとばす」と終わるこの詩に限らず、谷川俊太郎の描く子どもの「ぼく」は、「良い子」のイメージなど木端微塵にしてしまうエネルギーを発散させるのです。
日文_一房の葡萄_表紙初版本 有島武郎『一房の葡萄』 本学図書館蔵
近現代文学ゼミで、卒業論文作成に向けて文学研究の基礎を学んでいます。文学を論じる上で、正解はありません。一人ひとりが異なる論を展開していくからこそ、それを共有する発表の時間はいつも新鮮な驚きであふれています。求められるのは、「なぜ」という問いに向き合う姿勢です。好奇心を原動力に、これからも文学研究を楽しみたいです。

佐藤 花南
日本語日本文学科 3年
埼玉県 県立越谷北高等学校出身
日文_佐藤さん