秋の特別展 江戸の武家屋敷
  [二部]江戸城大奥を建てる


 日 時:2005年11月30日(水)〜12月17日(土)
     10:00〜17:00 無休
 会 場:昭和女子大学光葉博物館展示室
 入場料:無料
 後 援:世田谷区教育委員会




ごあいさつ
 江戸時代は、全てに先例(せんれい)が重要な意味を持つ時代でした。有名な忠臣蔵の発端も、勅使接待の先例をめぐるトラブルでした。諸大名は、先例を調べ、お互いに持っている記録を写しあって、自分が担当する機会に役立てています。
 職人の世界でも同様で、建築工事の記録は、作事にたずさわった大工頭、大棟梁、棟梁などの家系に、受け継がれてきました。手斧始(ちょうなはじめ)の儀式道具(清水建設蔵)を伝えたのは江戸幕府の作事方大棟梁甲良家(さくじかただいとうりょうこうらけ)、作事にかかわる儀式の絵巻を伝えたのは同じく江戸幕府の小普請方棟梁柏木家(こぶしんかたとうりょうかしわぎけ)ですし、大奥の錺金物(かざりかなもの)の図面(東京都立中央図書館蔵)も甲良家の史料の中にあります。そのほか伝来の明らかでない図面等もありますが、江戸時代末期の2度の大奥作事にかかわる史料を展示しています。大奥の作事にも、図面や帳簿の形で残された消失前の御殿の情報を基にして、再建工事の原案の図面や仕様書が作られ、将軍の御前に差し出されたと考えられます。
 この展示にあたり、御規式道具一式(手斧(ちょうな)・曲尺(さしがね)・墨壷(すみつぼ)・墨指(すみさし))と道具箱御規式道具置台をご出品くださいました清水建設株式会社、錺金物の図面をお貸しくださいました東京都立中央図書館ならびに関係各位に御礼申し上げます。
  平成17年11月
昭和女子大学光葉博物館
火災と江戸城本丸御殿
 
 幕府のお膝元江戸は、江戸時代265年の間に80数回にのぼる大火に見舞われました。江戸の町は、大火のたびに火除地など防火を意識した都市へと整備され、大名火消・定火消・町火消に代表される消防体制も整えられました。 
 大火の火は、江戸城に及ぶこともありました。寛永17年(1639)に建てられた本丸御殿は、明暦3年の「明暦の大火」によって焼失しました。この時、焼け残ったのは西の丸御殿だけでした。
 「明暦の大火」の後、本丸御殿は万治2年(1659)に再建されました。しかし、この時以降、天守は再建されることはありませんでした。
 幕末になると、御殿の中から火災が発生することもありました。
 万治2年(1659)に竣工した本丸御殿は、約184年間使われました。しかし、天保15年(1844)、本丸御殿大奥御広敷から出た火災で焼け、このため、弘化2年(1845)に再び建てられました。この御殿もわずか14年で焼けます。万延元年(1860)に再び御殿が建てられましたが、文久3年(1863)にやはり焼けました。その後、本丸御殿は幕末まで造られることはありませんでした。
江戸城本丸御殿
 
 江戸城内には、本丸、西の丸、ニの丸、三の丸や吹上御庭、紅葉山などがありました。
 本丸には、天守と本丸御殿が建っていましたが、天守は明暦大火以後再建されていません。本丸御殿は、表、中奥、大奥から成り、中奥と大奥のあいだは、銅塀で完全に仕切られていました。その間を繋ぐのは、上御鈴廊下(かみおすずろうか)と下御鈴廊下(しもおすずろうか)だけでした。表(おもて)は儀式の場と幕府の政庁、中奥(なかおく)は将軍の日常生活の場、大奥は御台所(みだいどころ) (将軍の正夫人)の住居です。
 大奥は、御台所や将軍の家族が住む御殿向・奥女中が住む長局向・警備や事務を担当の広敷役人が詰める広敷向から構成されています。「大奥は将軍以外の男子は立ち入り禁止であった」と言われますが、長局向・広敷向では男性が働いていました。
建築の儀式
 
 幕府には、作事方(さくじがた)と小普請方(こぶしんかた)という建築工事を担当する役所がありました。本丸御殿を建てる時は、表・中奥を作事方が、大奥を小普請方が受け持ちました。
 江戸城本丸御殿を建てる時には、釿始(ちょうなはじめ)・鍬始(くわはじめ)・立柱(りっちゅう)・上棟・釿納(ちょうなおさめ)・餅蒔(もちまき)・地鎮法・安鎮法(あんちんほう)の諸儀式を行いました。現在、住宅を建てる時におこなう地鎮祭と上棟式は、そのような儀式の省略形です。
 これらの儀式のうち、大工集団が直接関わったのは、釿始・鍬始・立柱・上棟・釿納・餅蒔でした。
 ここでは、弘化2年(1845)に竣工した本丸御殿大奥の場合の、これらの儀式と上棟式に向かう大工の行列を、絵巻と儀式道具で再現します。
建てる
 
 江戸城本丸御殿大奥の建築工事は、小普請方が担当し、小普請方に支配されている大工集団により建てられました。
 小普請方がどのように工事をおこなったかを万延元年(1860)に完成した本丸御殿大奥の図面からみると、大奥を幾つかの工事区域に分け、小普請方に所属していた7人の大工棟梁(だいくとうりょう)を、それぞれの区域を割当て担当させています。
 テレビドラマのセットでは華麗に再現される大奥の御殿ですが、実際の御殿はどのような様子だったのでしょうか。
 ここでは、弘化2年(1845)に竣工した本丸御殿大奥の平面図や、襖の引き手・釘隠などの餝金物(かざりかなもの)の図柄を描いた絵図で、御殿の様子をみましょう。







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