天平古写経

根本説一切有部律尼陀那経 巻第5 【五月一日経】

写経1 奈良時代 縦26.2cm 全長617cm 紙数13枚

 光明皇后が、父である藤原不比等と母である橘三千代の追善供養のために発願し、書写 せしめた一切経。全5,000余巻のうち、3,315巻の巻末に光明皇后の発願文が書き写され、 その日付が「天平十二年五月一日記」とあるため、「五月一日経」ともいわれている。
 写経の手本となった経論は、入唐僧・玄ほう将来のものもあったと考えられる。隋唐風 の写経体で筆力・筆勢があり、洗練されている。


十誦律 巻第42 【神護景雲経】

写経2 奈良時代 縦23.9cm 全長1,657cm 紙数30枚

 称徳天皇(孝謙天皇が重祚)が、父である先帝・聖武天皇のために発願し、書写せしめ た一切経中の一巻である。
「神護景雲二年(768)五月十三日」の願文があることから、「神護景雲経」ともいわれている。「五月一日経」や天平時代の写経の強い筆勢に比べると、文字がおおぶりでゆっ たりとしており、柔軟さのまさる奈良時代後期の写経の特色をよく示している。




摺 仏

主として木版画で表わされた仏画のことで、摺仏または印仏とも称され、唐代の中国で盛んに作られたという。日本では鎌倉時代ごろから、追善供養や逆修(生前に死後の供養 をすること)を行なうようになったのにともない、摺仏が、勧進活動に用いられるようになり、急速に流行した。
 つまり、信徒が寺院から配られた摺仏勧進札に、勧進の金品を添えて奉納すると、その代わりに寺院では、その信徒のために供養を施すという仕組みである。


<左> 唐招提寺金堂および釈迦修造供養勧進札
鎌倉時代 康元元年(1256) 縦29.1cm 横11.5cm

舎物  この勧進札は、金堂とその本尊である釈迦如来坐像(国宝 廬舎那仏坐像)の修理のた めに、一人当たり米一升を期日までに送るよう呼びかけた勧進札である。「貧女」が供養 により、悟りを得た例を示しており、鎌倉時代の勧進対象の階層を明らかにしている。

<右> 五重塔図
鎌倉時代 建長7年(1255) 縦11.3cm 横4.4cm

 五重塔を簡略に描き、相輪の横には「招提寺」の墨書が見える。
 現在、唐招提寺の東・西両塔とも失われているが、江戸時代にまとめられた「招提千載 伝記」などから推測すると、鎌倉時代には、おそらく東塔だけは存在していたと考えられる。南都復興の気運高まる中、塔の修理が行なわれた時の勧進札であろう。




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