天平の甍−鑑真大和上と唐招提寺展

[重要文化財]東征伝絵巻(全五巻のうち)

第2巻 縦37.3cm 全長1986.4cm 第5巻 縦37.3cm 全長1621.0cm

 この絵巻は、鑑真和上の出家から、わが国の入唐僧栄叡・普照の招請に応え、五度の渡 航の挫折やさまざまな困難の後、ついに来朝を果たし、唐招提寺に示寂するまでの伝記を 描いたもので、鑑真伝を絵画化した唯一の重要文化財である。
 また、裏書きには永仁6年(1298)、鎌倉極楽寺の忍性が蓮行に描かせ唐招提寺に施入したことが記され、鎌倉期の南都仏教の中心が、鑑真和上であったことを物語っている。
 詞書は、奈良時代、淡海三船元開によって漢文で綴られた「唐大和上東征伝」をもとにして和文で書かれている。


絵巻1 第2巻 部分
 一度目の渡航の失敗の後、再び栄叡・普照に懇願された鑑真和上は、二度目の渡航を決意する。採訪使の軍船を買い取り、舟人を傭って食物や什物を積み、天宝2年(743)出帆した。しかし船は暴風雨のため狼溝浦で難破してしまう。和上は烏きゅう草の上に乗り、難を逃れた。


絵巻2 第2巻 部分
 官船に救われた一行は、中央からの処分で阿育王寺に収容された。しかし和上はそれに もめげず、福州から出帆するという三度目の渡航を計画した。険しい嶺を渡り、谷を越え 、雪に足をすくわれながらも歩き続け、ようやく天台山を越え、国清寺に入ることができた。


絵巻3 第5巻 部分
 ついに日本に上陸を果たした和上は、天平勝宝6年(754)年2月 東大寺に入った。右大臣・大納言以下、官人100人あまりが礼拝問訊に参集する。大仏殿の扉の前に端座する和上に、勅使・吉備真備が聖武上皇の詔勅を読み上げる。この時の和上の心中は、察するに余りある。


絵巻4 第5巻 部分
 和上は、下賜された故・新田部親王の旧宅を学問寺として、唐招提寺をひらいた。講堂では、和上のまわりに僧俗が参集して、律の講義に耳を傾けている。


絵巻5 第5巻 部分
 天平宝字7年(763)5月6日、大和上は西に面して、結跏座臥したまま示寂した。遷化の後も、頭上は3日間暖かく、火葬にした際には芳香が満ちたという。


絵巻6 (奥書)永仁六年 戊戌 八月 日
 畫 工  六郎兵衛入道蓮行
 筆 師  嶋田民部大夫行兼





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